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2015年11月7日土曜日

青森の旅 (7) 少しだけなぞって帰る

新青森に着いたのが、乗車予定の新幹線の発車1時間ほど前で、それからお土産を物色し始めました。外せないのが、弘前しかないせんべいの「らぷる」と「こあき」、あとは、以前にお土産をいただいた学生さんへのお礼、次週に会うことになっている千葉在住の弘前大学の卒業生の方へは、ラグノオのアップルカスター、あとは、実家に帰省したときに持っていけるような「嶽きみ」入りのポタージュスープなど、思いついたものを次々に見境なく(笑)買っていったら、即座に荷物が限界に達したので(笑)、お土産購入を強制終了しました(笑)

一息つくか、というときに、青森を離れたときのことを思い出して、カフェで焼きりんごを食べることにしました(笑) やはり美味でした(笑)

弘前に住んでいた間はコミュ障で引きこもり気味で暮らしていましたし(笑)、ふらっと勝手に出てきてしまったようなものなので、自分がいた痕跡など跡形もなく消え去っているのだろうなあ、ということは、納得して、覚悟はしているのですが、それでも、私に会うことを喜んでくださる方々がいて、親しみをもって訪れることができる場所になっているのは、8年間過ごした収穫なのかもしれません。

あと、今回、弘前での滞在時間が少ない旅程になってしまいましたので、本来でしたら、お目にかかってご挨拶したかった方々にもお知らせしないままでしたが、あしからずご了解いただけましたら幸いです(笑) 今度、ゆっくり訪れる機会がございましたら、よろしくお願いいたします(笑)

ほどなく、発車時間が近づいてきたので、新幹線に乗り込み、買いすぎたお土産を網棚に押し込み(笑)、ぼんやりしていると、車内の電光掲示板に、この電車は八戸に止まらないのでご注意ください、という表示が出ました。そういう特急はそれほど多くないので、あれ?、と、思って、指定券を眺めると、この電車は「はやぶさ 30 号」、青森を引き払った日に乗ったのと同時刻に発車する電車でした。私が出発したいと思う時間が一定なのか(笑)、全然意識せずに指定席を購入していました。

そういえば、あのときは、暮れかかる外の景色を透かしてみたら雪景色だったなあ、と、思い出しました。

そのときのブログを見ると、多分に感傷的になったり、気負ったり、不安になったりしていて、柄にもなく、好雪片々、別処に落ちず、なんてつぶやいて終わっています。 

1年半経って、研究室に置くお菓子を抱えて帰る自分を改めて眺め、好雪とはとても言えないけれど、どこへ行ってもやっていることは変わらないなあ、と、苦笑しました(笑)

青森の旅 (6) 青森市街を歩く

漠然と、今回、訪れておこうと思っていたメインの場所には行けたので、後は、青森駅近辺をぶらぶらしてみようかと思いました。まずは、シャトルバスを県立郷土館で降りてみました。

青森の自然や歴史について、予想以上に充実した展示を見ることができました。個人的に興味深かったのは歴史でした。弘前も歴史のある街というイメージだったのですが、その「歴史」は、だいたい、津軽氏が勃興する安土桃山後期から江戸くらいからになってしまい、そ れ以前の青森がどうなっていたか、あまり知らなかったことに気づきました。また、弘前では、どうしても、「津軽」からの視点でものを見てしまう傾向があり ます。

念のために説明しておきます(笑) 「青森=津軽」というイメージがあるかもしれませんが、実は、八戸や下北のほうは、江戸時代までは南部の領地でした。そして、歴史的ないきさつから、「津軽」と「南部」は非常に仲が悪く、江戸時代には、南部の侍が津軽藩の行列に切り込もうとしたという事件まで起きています。さすがに、今の若い人たちにとっては、「青森県」という括りが定着しているのですが、気分としては、八戸辺りは岩手方面との結びつきは強く残っているようです。

さらに、津軽の中でも地域的な温度差があり、津軽氏の祖である津軽(大浦)為信は、弘前では英雄ですが、それは、周辺の諸豪族を打ち平らげて国を統一したからで、それらの豪族の本拠地であった地域での評判は微妙なときもあるようです。弘前から距離をとった場所で見ると、何となく、その辺の感じもうかがえます。

今回、初めて知ったのが、浪岡城には、南北朝時代の親房、顕家の流れをくむ浪岡北畠氏がいたという、結構、れっきとした歴史があったのだということで、弘前に住んでいたころ、青森空港へのバスの行き来に通過するときに、「中世の館」の看板をみても、どうせこの辺の大したことない豪族がいたんだろ、的なことしか思っていなかった無知を恥じました。機会があったら、浪岡城も訪れてみようと思います・・・、と、行きたい場所がかえって増えて帰京することになりそうですが(笑)

郷土館を出て、善知鳥神社に立ち寄りました・・・、と書いて、読めますでしょうか(笑)、正解は「うとうじんじゃ」です。青森で最も古い神社で、創建はいつなのかわからないほどで、坂上田村麻呂によって再建されたとされています。棟方志功はここで結婚式を挙げたそうです。訪れたのが、ちょうと七五三の時期で、ブレザー姿の男の子、着物姿の女の子をよく見かけました。



当初の予定では、この辺までを昼過ぎに見学して、駅の近くで海鮮系の昼食をとるつもりだったのですが、あちこちで時間をかけてしまったので、14:30 くらいになってしまい、もう、がっつり食べる雰囲気ではなくなってしまったよなあ、と予定変更して、アスパムに行くことにしました。





せっかくなので、最上階のレストランに行ってみました。下の野外で、B級グルメを屋台で出すイベントをしていたせいか、お客さんが、私1人だけで、落ち着かない雰囲気ではあったのですが(笑)、さすがに、海を見渡す眺めは最高です。






まだ、時間があったので、記念館になっている青函連絡船「八甲田丸」にも行ってみることにしました。








青函連絡船は昭和 63 年に運航を停止したので、私は、実際に乗ったことのある最後の世代なのではないかと思います(笑) 母方の実家が北海道だったので、何度か利用しましたし、特に、高校1年のとき、初めての一人旅で乗船したときのことは鮮明に覚えています。

ちょっとがっかりしたのは、昔の風物を模したジオラマが展示されていて、以前の客席が残っているスペースが少なかったことです。連絡船の中に座敷席があって、そこに寝そべって窓から海を見ていた記憶があるので、思い入れが強い箇所だったのでした。以前に訪れた函館にあった摩周丸のほうはその部分が残っていて感慨に浸ることができたので期待をしていたのですが。

ジオラマの展示がされていた客室のあとのスペースを抜け、操舵室を通り抜けて、これで終わりならば少し味気ないなあ、と思ったら、順路が下に続いていました。青函連絡船は貨車をそのまま積めるようになっていたのですが、その格納庫に、いくつかの車両があるのはなかなか圧巻でした。次の順路で、エンジンルームも見ることができました。最初の客席の失望を補うことができました(笑)

八甲田丸を出ると、ちょうどよい時間だったので、青森市街の観光を終え、新青森に向かうことにしました。

2015年11月6日金曜日

青森の旅 (5) 棟方志功記念館

最終日は、夕方、新幹線に乗るまで、青森市街をぶらぶらするつもりでした。青森に住んでいる間に行きそびれ、気になっていた場所として、1日目に行った三内丸山遺跡とともに、棟方志功記念館がありましたので、この機会に訪れてみようと思いました。

10:00 過ぎに浅虫温泉を出る電車に乗り、青森駅に 10: 20 頃に着きました。前日、ネットがつながらなかったので、どのように行ったらよいかよくわからず、観光案内所で聞いてみると、通常の路線バスと観光地を巡回するシャトルバスがあり、路線バスが 40 分ほど後、シャトルバスが 50 分ほど後に発車しますが、シャトルバスは記念館のすぐそばに停車するのでそちらのほうが早いと思いますよ、とのことだったので、最初から長時間の待期となり、駅のコーヒーショップで時間をつぶすはめになりました。やってきたシャトルバスに乗ってみると、乗客は私ともう1人だけで、 もう一人の方は駅の次の停留所で降りてしまったので、貸し切り状態になってしまいました(笑) 初めて訪れた土地でこういう感じだったら、おそらく不安になったと思いますが、まあ、青森だし、こんなもんだよなあ、と、泰然としていられます(笑)

棟方志功記念館は、青森市郊外の、彼の生地の近くにあります。バスで 15 分ほどで到着しました。








代表作のひとつ「釈迦十大弟子」のような作品はいつも展示されているようですが、あとは、季節ごとの主題があるようで、秋は茶事がテーマになっていました。





 
棟方志功自身の茶道に関連する作品のほか、棟方志功を評価した「民芸」一派の、柳宗悦の書、濱田庄司、河合寛次郎の陶芸なども展示されていました。さすがに、棟方志功の板画(誤字ではなく、彼は「はんが」にこの字を充てたそうです)は豊富で、テーマが絞られていても、独特の、大胆でプリミティブで、力強い、強烈なフォルムと色彩を楽しむことができる優れた作品が多かったように思います。たまらず(?)、所蔵品目録を購入してしまい、帰りの荷物を増やしてしまいました(笑)

季節ごとに展示替えをしてもこれだけのものが見られるのだから、施設が大きければ同時にたくさんの作品を鑑賞できるのに、隣の建物も使えればよいのになあ、と、思って、改めて見ると、弘前大学の建物でした(笑) こんなところに大学の施設があったのを、ずっと知りませんでした(笑)

ひととおり眺め終わって、シャトルバスの時間を確認すると、まだ、20 分ほどあったので、記念館の
周りを歩いてみました。途中、コンビニによってのど飴を買い、お金を払うときに店員さんの名札を見ると「棟方」となっていました。この辺で多い苗字なのでしょうか。

記念館に来ている人はそこそこいたはずなのですが、帰りのシャトルバスに乗ったのも私一人でした。みなさん車を使っていて、公共交通機関はあまり利用されていないのかもしれません。再び、貸し切り状態で、青森市街へ向かいました。

2015年11月5日木曜日

青森の旅(4) 浅虫温泉にて

旅行の計画を立てるとき、せっかく青森に行くことだし、一泊くらいは温泉に泊まろうかなあ、と思いました。まずは、一度行って二度目を行き損ねたままだった不老不死温泉を考えたのですが、弘前から電車で2時間ほどかかるし、と迷っていた矢先、テレビの温泉ランキング的な番組で1位になってしまい(笑)、あっという間に予約が埋まってしまいました。次に、弘前に近い大鰐温泉を調べてみると、こちらも満員です。それでは、ということで浅虫温泉のホテルを調べると、一人で泊まれそうなプランがあったので、それにしました。

浅虫温泉は、青森から電車で 20 分くらい陸奥湾を海沿いに八戸方面に行ったところににあります。青森県は温泉が豊富なのですが、たいていの名湯は、交通不便な、自然と風呂しかない、というストイックなところになってしまいます(笑) ここは、青森の街からも比較的近くて交通の便もいい、いわゆる古くからの温泉街といった雰囲気があります。

弘前に住んでいたころ、お知り合いの方が北海道に赴任することになって車で移動する途中、示し合わせて泊まったとき以来です。その後、東北新幹線が新青森まで開通したので、今回、初めて青い森鉄道に乗ったことになります。

16:00 前に弘前を出て、着いたのが 17:00 頃で、すでに真っ暗でした。前もって宿に到着時間を知らせてあったので、車で駅まで迎えに来てくれ、そのままチェックインしました。

以前に訪れた宿は少し奥まったところにあり、かの棟方志功が創作にいそしんだところだそうで、かなり格式が高そうだったのですが、今回の宿は、海のそばの、いたって普通の気のおけないところでした。運よく、上のほうの階の角部屋だったので、うるさくなくてすみました。建物が古く、セントラルヒーティングが繊細ではなかったので(笑)、「弱」にしても暑すぎ、「切」にすると寒くなってしまうことと、 ネットがつながらないことが少し困りましたが。

何はともあれ、まず、ひと風呂浴びに行きました。泊まっていたのと別の館の最上階に展望風呂があったのですが、あいにく、もう真っ暗で遠くにぼんやりと青森の街の灯が映っているのがわかる程度でした。露天風呂は寝転んで入るタイプ浅いもので、既に風も冷たいので、きちんと浸かっていないとすぐに寒くなってしまいますが、夜空を見上げて浸かっているのもなかなか気持ちのよいものでした。

近くから来ていると思しき、私よりももう少し年上のおじさん二人が、仕事が忙しいからどうしても週末にここで一泊してばかりだけど、退職したらせめて二泊か三泊かけてもっと遠くに行きたいねえ、というような話をしているのを聞いて、たびたびこの温泉に来ることができるというのも、それはそれで贅沢なことなのではないかと思ってしまいましたが(笑)

部屋に帰ったら夕食になりました。依然として、手堅く、手早く、という感じで、中居さんも、長々とご挨拶した後でひとつひとつの料理の産地と料理法と面倒くさい食べ方を説明する 、などということは一切なく(笑)、ふたつの鍋の下の固形燃料に火をつけると、こちらは蒸し物、こちらは焼肉なので、火が通ったら食べてくださいねえ、と、それだけですが、味はなかなかです。青森では、肉、魚、野菜のどれも素材がおいしいので、微妙な味付けが気になるような食通でない私は、宿泊するときに食事が不味いのではないかと心配しないですみます。

翌日は夕方の新幹線に乗るまで青森市内をぶらぶらする予定で、夕食後、その計画を立てるつもりでしたが、部屋にLANケーブルのジャックがないのは想定外でした。WiMAX のルータも持ってきてはいるのですが圏外です。かくして、ネットで下調べができず、次の日は、行き当たりばったり、臨機応変に行動することにして、所在無くテレビをつけ、ブラタモリでタモリさんが富士山頂に立つところを見ていました(笑)

普段はカラスの行水なのですが、せっかく温泉に来たのだからと、もうひと風呂浴びると、完全にやることがなくなりました。生きる意味や人類の未来について考えながら(ウソです)、早々と眠りにつきました。

早寝したので、翌朝は早朝に目が覚めました。何気なく窓の外をみると、実は、ホテルの建物は海の目の前で、とても眺めのよいところでした。着いたときは真っ暗だったので全く気づきませんでした(笑) 海を眺めながらの展望風呂はより一層気持ちがよいものなのでしょうが、普段、朝風呂の習慣がない私が、こんな肌寒い時期に風呂に入ってから外を歩き回ると、風邪をひくのは目にみえているので、それはあきらめ、宿で出された青森名物貝焼きのついた朝食をとって、最終日の青森観光に出発しました。

2015年11月4日水曜日

青森の旅(3)  弘前再訪

2日目の朝、前回の更新で書いたように、卒業生のお一人の車で青森から弘前まで送っていただきました。帰途、かなりの遠回りをさせてしまい、申し訳なかったのですが、その間、1時間ほど、2人でお話できました。ときどきメールや電話をくださるので、離れている感じはしなかったのですが、考えてみると、こうして話すのは本当に久しぶりです。

津軽平野はリンゴの収穫も終わり、晩秋から冬へと向かう雰囲気を漂わせていました。

1年半ぶりの土手町に降りたちました。 まだまだ話したりないなあ、という感じだったので、卒業生の方を無理やり引き留めて(笑)お茶することにしました。どこかめぼしい店を、と探したのですが、到着した時間が 11:00 ちょっと前で、チェンバロ万茶ンも開いていません。中三デパートはもう営業していたので、中のカフェはやっているだろう、ということで、エミリオに行くことにしました。メニューをひとしきり眺め、アップルパイを頼んだら、売り切れです、という返事で、10 時開店でもう売り切れとはどういうことかと思ったのですが、改めて見渡してみると、どうやら、ここのアップルパイがヒルナンデスか何かで紹介されたとの広告が貼ってありました。そういえば、入店したとき、孫を連れたおばあちゃんと思しきお客さんがテイクアウトで何か大量に箱買いしていたのが、それだったのかもしれません。

私が住んでいたころ、突如、アップルパイの街、という売り出しが始まって、いくらりんごの街だからって、ちょっと安直だなあ、と、いう気もしないでもなかったのですが、すっかり定着したようで、新しい名物ができてよかったです。確かに、よいリンゴをたくさん使っているので、弘前のアップルパイはおいしいです。この店のは食べ損ねましたが(笑)

結局、リンゴを載せたパンケーキを食べることにして(笑)、もうひとしきりお話をして、卒業生の方とお別れしました。

こうやって書いてみると、改めて、いろいろとお世話になったことがわかりますね。今度、東京にいらっしゃったときは、埋め合わせに、力の限り(笑)おもてなししますので。

いよいよ街歩きの開始です。まずは、移動した天守閣を見ようとお城に向かいました。最初に土手町に着いたと き、一瞬、あ、懐かしい、と思ったのですが、歩き始めてすぐ、懐かしいとすら思わないくらいに自然な気分になり、強いて言うならば、新幹線に乗って散歩にきた、くらいの感覚に思えてきました(笑)



 こちらに住んでいたとき、週に1,2度はお城に散歩に行っていたので、通算では 400 回くらいは(笑)訪れた場所ということになります。まだ、その感じはどこかに染みついているのかもしれません。

この時期ですので、弘前城では、菊と紅葉まつりが絶賛開催中です。





 


例年、菊人形は大河ドラマ関係のネタが多かったのですが、今年は、天守閣の移動があったからか、弘前上の歴史に関する展示でした。







津軽氏の2代信枚の正室は徳川家康の、側室は石田三成の娘だとのことで、津軽藩の戦国生き残りをかけた微妙な政治的駆け引き(?)がうかがえます。ちなみに、子どもができたのは側室のほうだそうです。






広場では、ご当地アイドル「りんご娘」のみなさんが、午後のステージのリハーサルをしていました。








まつりの会場である植物園を出、天守閣のある本丸に行ってみました。


桜の季節は、天守閣を望む絶景ポイントだった下乗橋からの風景がこんなになっていました(笑)








本丸に入ってみると、天守閣のあった場所は、こんな感じになっていました。








天守閣の建物は、数十メートル離れた場所に移動していました。来年くらいから、この場所で内部も公開されるようです。








東北でただひとつの江戸時代から現存する天守閣です。長い年月がかかるようですが、しっかり、石垣も補修して、長く保存していただきたいと思います。完成したころにも見にきますので(笑)

本丸まで来たら、あとは足が自動的に動く、という感じで、当時の散歩コースに自然に乗っかってしまいました(笑)

ということで、これから、以前のブログの「弘前の風景」と変わり映えのしない写真が続きます(笑)

お城の中の、お気に入りの紅葉のスポットです。









藤田記念庭園の手入れのクオリティの高さも相変わらずでした。









当初、「高砂」の蕎麦を食べに行こうと思っていたのですが、方向が微妙にそれてしまい、先に禅林街の方に行くことにしました。

禅林街の手前にある天満宮さんにも、毎年、困ったときの神頼みを繰り返していたので、お礼を申し上げておきました。








2年ほど前に車が衝突して破損してしまった黒門はまだ元通りになっていませんでした。一度壊れると、なかなか回復するのは難しいのだと改めて感じます。歴史的建造物は大切にしてほしいものです。







趣のある杉並木の奥に、元締(?)の、津軽藩主の菩提寺である長勝寺があります。








 山門の近くの木々もすっかり紅葉していました。









時間の都合で、残念ながら、建物内部の見学は省略しました。







この建物の中に並んでいる羅漢さまの中に、なぜか、マルコ・ポーロがいます。









禅林街を出て、最勝院へ向かいました。以前はなかったきれいな歩道が作られていて、歩きやすくなっていました。








 このお寺も、私にとっては、弘前といえば思い出す場所の一つです。





 


天候が悪くて写真映えしないのが残念ですが、改めて、五重塔の姿のよさを感じます。








急激に冷え込む季節ですが、その分、紅葉はとても鮮やかでした。








調子に乗って歩き回っていたら時間が迫ってしまい、断腸の思いで「高砂」の蕎麦を諦め(次に来た時には必ずリベンジしたいと思います(笑))、弘前駅に向かいました。 以前に住んでいた近くも通ってみたのですが、引っ越す直前に閉店した古い金物屋さんがあったところが駐車場になっていたり、ごちゃごちゃした通りだったところに歩道ができていたりと、かえって、観光地の近くよりも変わっているように思いました。

かつては馴染みだったコースを歩くのは不思議な気分で、一瞬、長い出張から帰宅して、その翌日に散歩に出ただけのように思えてしまうこともなくはなかったのですが(笑)、 ふと、以前はあったお店が閉まっていたり、道路や建物が改装されたりすることに気づいたりすると、やはり、それだけの時間が経っているんだなあ、と改めて感じます。

これだけ風光明媚な場所が日常の散歩コースだったことは、改めて贅沢なことだったと思います。今回は半日もいることができず、立ち寄ることのできない場所もあってかえってフラストレーションが溜まってしまう感じでもあったので(笑)、次回はゆっくりと訪れたいと思います。

2015年11月3日火曜日

青森の旅 (2) 楽しい集まり

第1日目の夜は、これまでさんざん騒いでいた(笑) ゼミの卒業生の方々との会食の予定が入っていました。三内丸山遺跡の見学を終え、青森市内に戻り、ホテルにチェックインすると、フロントで、500 円プラスでツインの部屋にできますけど、と言われ、まあ、深夜戻ってきて一泊するだけではあるけど、と思いながらも変更してもらいました。すると、周りの部屋のほとんどは、中国からの観光客とおぼしき人たちで、あ、そういうことだったのか、と、テンションが下がりかけたのですが、いたって静かで、その点は安心しました。部屋を出ようとしたとき、来週、東京で会う予定になっている卒業生の方からメールが来ました。 この日に会う方々の2年後輩で、よく知っている仲なので、これからお二人に会ってきます、と自慢を付記して(笑)返信しました。

少し早めにホテルを出、街をぶらぶらしました。駅の付近で旅行用品を買って、まだ時間があるからお茶でも飲もうか、と、思っていたとき、先ほど返信したまま携帯電話をホテルの部屋に忘れてきたことに気づきました。さすがに待ち合わせで携帯電話が無いのはまずいし、まだ時間があるから、と、少し急いでホテルに引き返して携帯電話を持ち出し、それでも時間があったので、チャンドラによってケーキセットを頼もうとしたら、17:00 でティータイムが終わっています、と言われて時計をみたら 17:05 くらいで(笑)、ふてぶてコーヒーとケーキを単品で頼むことになったのですが、頼んだブルーベリータルトが美味しかったのであっさり機嫌を直しました(笑)。

時間が近づいてきたので待ち合わせ場所の青森駅に行くと、9月にもお目にかかった卒業生の方はもうすでにいらしていました。また少しお腹が大きくなり、赤ちゃんも順調に成長しているようです。ほどなく、もう一人の卒業生の方も現れたのですが、会うなり、あ、やっぱりセンセイだった、さっき、駅の近くで私を追い越したのに気づきませんでしたか? と、聞かれました。もう、薄暗かったうえに、忘れ物をして慌てていたし、久しぶりに会うその方が、以前のショートカットに比べて髪を伸ばしていたし、と、いろいろ言い訳をしても、普段、いかにも可愛がっているようなことを言っているのに、面目ないことです(汗) 最初に気づいていたら、一緒にお茶してお話できたのにと思うと、ちょっと残念でした。

予約を入れていただいた隠れ家的な洒落たお店の半個室に落ち着きました。お腹に赤ちゃんがいる方と、もともと飲めない私はソフトドリンクだったので、もう一人の方も何となくそうなって、飲み屋さんで誰も飲まないことになってしまいましたが、アルコールで座をほぐす必要がないメンバーでもあるので(笑)、さっそくお互いの近況を知らせ合い、いたって和やかに話をしました。

茶化し合ったり、からかったりしているのに、一人が席を外すと、もう一人の方が、○○(席を外した方の名前)、赤ちゃんができて本当によかったですね、と私に向かって言い、 次に、そちらの方が席を立つと、帰ってきた方が、○○○(今度、席をはずした方の名前)、教採に受かって本当によかったですね、と言う、という感じで、お互い、相手のことを喜んでいる仲のよさが、いいなあ、と思いました。 お二人が私のゼミに配属になったことで、何となく、私もその中におさまって、すっかりその気になり、ブログにも再三書いたように猛烈なおせっかいを焼いては、指導教員バカ全開で狂態を演じていたわけですが(笑)、そうやって関わりあうことができたのは、本当に幸運なことだったと思います。

話は尽きないのですが、夜も更けてきたのでお開きにし、レジで会計しようとすると、お店の人から、もう既にいただいてますよ、と言われました。しまった、ひょっとして、さっき席を立っていたのはそのせいだったのかもしれない、ほっこりしている場合ではなかった、と思っても後の祭りで、今日は君たちのお祝いなんだから、と言っても、センセイは青森観光に来たようなことを言っているけど、私達的には、本当は私達に会うためにいらっしゃったんだと思ってますからね、その分くらいは出します、と、結局受け取ってもらえず、さらに、明日、弘前に行く、という話をすると、今晩青森に泊まって明日五所川原に帰る予定の方が、回り道して車で送ってくださることになり、勇んでお祝いに来たつもりが、すっかり面倒を見ていただくことになって、再び、面目を完全に失墜してしまいました(笑) 

ともあれ、春から、お二人が、それぞれの新しいステップを踏み出すことになる、その時期に集まることができて、嬉しく思いました。  また、集まれるよう、ときどきは青森に行く機会を作ろうと思います。

そのときは、私がセンセイぶる機会は与えてください(笑)

2015年11月2日月曜日

青森の旅(1) 三内丸山遺跡

・・・ ということで、青森で訪れた場所や起こったことなど、断片的に綴ってゆこうかと思います。

引っ越してからよく利用するようになった東海道新幹線にはいまだにちょっと物珍しい感じがするのですが、1年半ぶりに乗る東北新幹線は、それまでしょっちゅう乗っていたせいか、妙に落ち着きました(笑) 背もたれに昇降式の枕がついているのがよいですね(笑)

まずは、青森に住んでいる間に訪れていなかった三内丸山遺跡に行きました。新青森駅から行く方が近いのですが、この日は青森に泊まる予定で、荷物を持ってゆくのはかさばるし、新青森のロッカーに置いて帰りに寄るのも回り道になるので、最初に青森に出ることにしました。電車に乗るのは5分ほどなのですが、奥羽本線の電車が1時間に1本なので(笑)、この辺の時間の読み方が難しいところです。

久しぶりの青森駅の観光案内所でパンフレットを眺めて、バス乗り場を確認して外に出たところ、遠くに見える乗り場に、まさにバスが到着したところで、遅れたら相当な時間待たなければならなくなるのは想像に難くないので(笑)、ダッシュで飛び乗りました。

25 分ほどで到着します。すぐ近くに県立美術館があり、そちらには何度か行ったことがあります。 今回も、遺跡の見学が終わったら、シャガールの「アレコ」を見に行こうかと思っていたのですが、美術館は改修中でした。残念です。


三内丸山遺跡は、5000 年ほど前の縄文時代の集落の跡で、発掘された建物、生活の場所などの遺構や、復元された住居があります。奥に小さく見えるような銀色のシェルターの中が実際に発掘された場所です。併設されている博物館では膨大な出土品が展示されていました。





最も有名なのは、右の写真のように復元された建造物でしょう。









上の建物は、左の写真のような遺構から推測して復元(?)われたもので、実際に、屋根がついていたか、などの詳細はわかっていないようです。それでも、このようなものを作ることができたということは、縄文の人々は、既に、並べたり、測ったりすることはできるくらいの幾何的な感覚は持っていたということなのでしょう。





発掘した層土の様子を見ることもできます。









あいにく、相当に雨脚が強く、しかも、このまま止むかなあ、と思わせるくらいに弱まったのが、また、降り始める、という繰り返しです。初めて訪れる場所では、早めに帰った方がよいか、などと心配になったり、よりによって何でこんな天気なんだろう、と、イライラしたりしそうなところですが、まあ、こちらでは、この季節に雨が降ったらこんな感じだよねえ、と、思えてしまうのが、馴染みのある土地の所以かもしれません(笑)


復元された竪穴式の建物の中で、縄文の人たちも雨の日はこんな感じで外を眺めていたのかなあ、と、どうしようもない感想を抱いていました(笑)







雨は強まる一方なので、戸外の遺跡の見物を早々に引き上げることにしました。せっかく来たのにこれで終わるのは物足りないなあ、というくらいの気持ちでいたのですが、ミュージアムに入ると、その展示物の多さに驚いて、むしろ、こっちがメインだった、と思い知らされました。

 出土した土器です。










 石で作ったナイフ(削器)です。









動物の骨で作った針です。何だか昔の人のほうが器用だったのではないかと思えてしまいます(笑)







 
物の流通は想像以上に広範囲に行われていたようで、石斧の材料は北海道から、ヒスイは新潟から運ばれてきたそうです。







何だか、5000 年経っても、人間は大して賢くなっていないのではないか、とさえ思えてきました(笑)

それにしても、遺跡も博物館も入場無料ですし、(私は気ままに見たいので参加しませんでしたが)、ボランティアのガイドさんの案内ツアーに参加するのも無料です。 その集団のそばを通りかかったとき、ガイドさんが、予算の都合で発掘が進んでいなくて・・・、などと言っているのが耳に入ってきたりすると、この施設、入場料をとってもいいのではないか、と思いました(笑) もともと、時間をかけてここまで来るくらい気合が入っているわけですし、これだけのものを見ることができるのですから、300 円や 500 円くらい徴収しても、誰も文句は言わないと思うのですが(笑)

天候は悪かったのですが、訪れる機会がないままで気になっていた場所に行くことができ、しかも、そこが見ごたえがあって、満足できました。

2015年11月1日日曜日

旅してきました

♪ 少しだけ 心が すり切れて きたから
  ひとりで 夜明けに この街 とび出す
  僕だけの 時間を 無駄づかい しながら
   時計を 忘れた 旅でも しようか
 ・・・  と口ずさみながら、青森まで行ってきました。

勝手知ったる、というところでもあり、大体の見当はつくので、不安になったり、戸惑ったりすることもなく、スムーズに行動できました。その分、スリルはなかったとも言えますが、会いたい方々にも会えたし、リラックスもできたし、いつか訪れようと思っていた場所にも行くことができたので、2泊3日の短い間にこれだけ行動できたのはやはりおなじみの場所だったからなのだろうなあ、という気もします。

秋口や春先に着るコートに、ベストとセーターを携帯して、おそらく、コートのしたにベストを着こむか、コートをロッカーに置いてセーターで行動すればよいだろう、と、思っていたのですが、新青森に降りた瞬間から吐いた息が白くなり、結局、ほとんどセーターを着た上にコートを羽織っていました。列車のドアの開閉ボタンの有難味が改めてわかりました(笑)

前に書いたように、ゼミの卒業生のお二人をお祝いするべく、張り切って乗り込んだつもりだったのですが、結局は、私がもてなしていただいて他愛もなく喜んで終わってしまった、という体たらくでした(笑) センセイの威厳は完全に崩壊していましたが(笑)、お気遣いいただいたことで、とても楽しい時間を過ごすことができました。今回の青森行が充実したのは、お二人のおかげです。有難うございました。

ノートパソコンを持っていったので、旅先でブログを更新しようと思っていたのですが、最初の日は、新幹線での長旅の後、遺跡を見学して青森に戻り、夜に、とても楽しく会食したので、ホテルにつくとあっさり眠ってしまい(笑)、2泊目の浅虫温泉はWiMax の圏外だったので(笑) 果たせませんでした。撮りためた写真や、面白かった出来事などもありましたので、気力が湧けば(笑)、これから断続的に、それらについて書こうと思います。また、例のごとく、実現するかわかりませんが・・・(笑)

あと、しばらくの間、研究室に、弘前名物、しかないせんべいの「らぷる」「こあき」のお土産があるはずです。早い者勝ちです(笑)

今日はくたびれたので早めに寝ます(笑)

2015年2月18日水曜日

海辺の露天風呂

珍しくテレビを見たら、旅番組で五能線沿線を特集していて、不老不死温泉が出てきました。以前に訪れたときのことを思い出しました。

日本海に面した露天風呂が有名なところで、天候のよいときは夕陽を見ながら温泉に入ることができます。写真の囲いの部分が風呂になっています(さすがに風呂の中を撮影するわけにはいきませんでしたので、詳しくはHPをご覧ください(笑))。 今の季節は海が荒れるのであまり入浴できる日はないかもしれませんが・・・。



私が訪れたのは秋で(ここここに行ったときです)、幸運にも好天に恵まれたのですが、夕暮れ時は、あまり大きくない風呂が大混雑で、一人で来ていたので、一度出ると次は場所を確保できなそうで、結局、30 分くらい頑張っていたことを思い出しました。それでも、綺麗な夕陽が沈む一部始終を温泉に浸かりながら楽しむことができ、大満足でした。

他にも、本館、別館とに立派な温泉があり、普段、どちらかというとカラスの行水的な風呂の入り方しかしない私が、おそらく、生涯最長時間、湯に浸かっていました(笑)

弘前で過ごした最後の秋、もう一度訪れようと思って予約をしていたのですが、天候と体調が不良でキャンセルしてしまったまま、こちらに引っ越すことになり、何となく心残りではあります(笑)


いつか、ぜひ、再訪したい場所のひとつです。

2014年11月2日日曜日

ベタな観光

以前は、京都で時間ができたときは、明恵上人について読んだ後なら高尾に、とか、一休禅師の詩を読んだら田辺に、とか、天台について読んだら叡山に、というように、関心のあることのゆかりの場所に行っていたのですが、トシをとるにつれて低俗化してきたのか(笑)、調べるのが面倒になってきたのか、何となく、ぶらっと出歩いてしまい、結局はよくありがちな大して実にならないような観光に終始してしまうのがよくないところです。


そんなことを言いつつ、今回立ち寄った場所の写真です。



まずは定番中の定番の清水寺です。紅葉はまだほんの少しで、盛りにはまだ間がありそうです。改修中で落ち着きがなかったのも残念でした。







そのまま三年坂を下って東山沿いに歩いてみました。修学旅行生でごったがえしています。












坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允らのお墓がある霊山によってみました。写真は坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓です。彼らのような有名な志士だけではなく、池田屋事件や禁門の変などで命を落とした無名に近い人たちも祀られています。自分が偉大ではないせいか、大きく名をなすこともなく、志半ばで終わった方々に感情移入できるようにもなってきました。





そのまま高台寺へ行きました。色とりどりの傘が配置されていて、美しい風情を醸し出していました。









銀閣寺です。こちらは研究集会が終わった後の 16:00 過ぎに訪れたので、慌しく眺めただけで終わってしまいました。少し暗くなり始めているので、光線の具合もよくないですね。夕方にもかかわらず大変な人出でした。







せっかくだからと自腹で1日余計に泊まった翌日は、北山のほうに行きました。


金閣寺です。訪れたときはあいにくの激しい雨でした。










金閣寺を出る頃に雨が小降りになり始めたので、そのまま歩いて竜安寺に行きました。有名な石庭のまえで、しばらくぼんやりしていました。









何となくお庭を眺めているのが心地よかったので、このまま大徳寺にでも行って、いくつかの塔頭のお庭を拝観したいような気になってきたのですが、夕方に東京に発つには時間が足りなそうなので断念して、京都市街に戻りました。ちょうど、御所の一般公開が行われていました。






右近の橘のほうから眺めた紫宸殿です。










庭園も入念に手入れされていました。










襖絵の装飾も素晴らしく、思わず見入ってしまいました。










最後に二条城に立ち寄りました。こちらも改修中で、期待していた襖絵がことごとくはずされて複製と取り替えられていて興ざめでした。








小堀遠州が手を入れたという庭園はさすがでした。











一通り、お約束の観光を済ませた気分になって京都駅に向かいました。以前よくお土産にしていた阿闍梨餅を買おうと伊勢丹地下の食品売場に行くと、思いがけず長い行列ができていて驚いてしまいました。頻繁に京都に来なかったうちに評判が広がっていたようです。