2015年11月2日月曜日

青森の旅(1) 三内丸山遺跡

・・・ ということで、青森で訪れた場所や起こったことなど、断片的に綴ってゆこうかと思います。

引っ越してからよく利用するようになった東海道新幹線にはいまだにちょっと物珍しい感じがするのですが、1年半ぶりに乗る東北新幹線は、それまでしょっちゅう乗っていたせいか、妙に落ち着きました(笑) 背もたれに昇降式の枕がついているのがよいですね(笑)

まずは、青森に住んでいる間に訪れていなかった三内丸山遺跡に行きました。新青森駅から行く方が近いのですが、この日は青森に泊まる予定で、荷物を持ってゆくのはかさばるし、新青森のロッカーに置いて帰りに寄るのも回り道になるので、最初に青森に出ることにしました。電車に乗るのは5分ほどなのですが、奥羽本線の電車が1時間に1本なので(笑)、この辺の時間の読み方が難しいところです。

久しぶりの青森駅の観光案内所でパンフレットを眺めて、バス乗り場を確認して外に出たところ、遠くに見える乗り場に、まさにバスが到着したところで、遅れたら相当な時間待たなければならなくなるのは想像に難くないので(笑)、ダッシュで飛び乗りました。

25 分ほどで到着します。すぐ近くに県立美術館があり、そちらには何度か行ったことがあります。 今回も、遺跡の見学が終わったら、シャガールの「アレコ」を見に行こうかと思っていたのですが、美術館は改修中でした。残念です。


三内丸山遺跡は、5000 年ほど前の縄文時代の集落の跡で、発掘された建物、生活の場所などの遺構や、復元された住居があります。奥に小さく見えるような銀色のシェルターの中が実際に発掘された場所です。併設されている博物館では膨大な出土品が展示されていました。





最も有名なのは、右の写真のように復元された建造物でしょう。









上の建物は、左の写真のような遺構から推測して復元(?)われたもので、実際に、屋根がついていたか、などの詳細はわかっていないようです。それでも、このようなものを作ることができたということは、縄文の人々は、既に、並べたり、測ったりすることはできるくらいの幾何的な感覚は持っていたということなのでしょう。





発掘した層土の様子を見ることもできます。









あいにく、相当に雨脚が強く、しかも、このまま止むかなあ、と思わせるくらいに弱まったのが、また、降り始める、という繰り返しです。初めて訪れる場所では、早めに帰った方がよいか、などと心配になったり、よりによって何でこんな天気なんだろう、と、イライラしたりしそうなところですが、まあ、こちらでは、この季節に雨が降ったらこんな感じだよねえ、と、思えてしまうのが、馴染みのある土地の所以かもしれません(笑)


復元された竪穴式の建物の中で、縄文の人たちも雨の日はこんな感じで外を眺めていたのかなあ、と、どうしようもない感想を抱いていました(笑)







雨は強まる一方なので、戸外の遺跡の見物を早々に引き上げることにしました。せっかく来たのにこれで終わるのは物足りないなあ、というくらいの気持ちでいたのですが、ミュージアムに入ると、その展示物の多さに驚いて、むしろ、こっちがメインだった、と思い知らされました。

 出土した土器です。










 石で作ったナイフ(削器)です。









動物の骨で作った針です。何だか昔の人のほうが器用だったのではないかと思えてしまいます(笑)







 
物の流通は想像以上に広範囲に行われていたようで、石斧の材料は北海道から、ヒスイは新潟から運ばれてきたそうです。







何だか、5000 年経っても、人間は大して賢くなっていないのではないか、とさえ思えてきました(笑)

それにしても、遺跡も博物館も入場無料ですし、(私は気ままに見たいので参加しませんでしたが)、ボランティアのガイドさんの案内ツアーに参加するのも無料です。 その集団のそばを通りかかったとき、ガイドさんが、予算の都合で発掘が進んでいなくて・・・、などと言っているのが耳に入ってきたりすると、この施設、入場料をとってもいいのではないか、と思いました(笑) もともと、時間をかけてここまで来るくらい気合が入っているわけですし、これだけのものを見ることができるのですから、300 円や 500 円くらい徴収しても、誰も文句は言わないと思うのですが(笑)

天候は悪かったのですが、訪れる機会がないままで気になっていた場所に行くことができ、しかも、そこが見ごたえがあって、満足できました。