先週、謝恩会があり、昨日、ゼミの4年生の卒業祝いの飲み会をして、今日が卒業式で、というように、しばらく、卒業関連の行事が続きました。
今回、めでたく卒業されたゼミのメンバーは、私がこの大学に赴任したときにすでに3年生だったので、1,2年に私の講義を受けないでゼミに配属することになり、こちらが口にするほとんどすべての用語が通じないところからスタートしなければなりませんでした。私のほうも、それまで、弘前では年に1,2名、この大学での最初の年も4名のゼミ生だったので、8名という大所帯は初めてで、手探り状態のところもありました。 今回の卒業生の方々はそういう諸々の大変さをチームワークで乗り切ってきた感があります。
8名のメンバーをどう組み合わせてもみんな仲良しグループになる、と言っても過言ではないくらいで、まあ、時間にルーズなのは最後までなおりませんでしたが(笑)、最終的には、他のメンバーの言うことは素直に聞く、グループの中で自分に何ができるか考えるようになる、周りの人が進まないと心配し、ときには叱咤激励する(笑)、という風で、それぞれが、私と1対1でゼミを行うよりも先に進めたと思います。グループのひとりひとりがかけがえのない存在になったのが、プラスに作用しました。
4グループに分かれて卒業研究をすることになったので、火曜日を1コマ目から4コマ目まで1グループ1コマずつ割り振る形にしたのですが、昼休みにはゼミが終わった学生さんもやってきて研究室で揃って食事をする、という感じで、さらに、テキストを読み終えた後の調査やまとめの時期、研究室で作業する形態になると、みんなで入れ替わりにやってきて、ときには、指導教員も交えて(笑)雑談していたり、ということもありました。 ゼミで出かける前や、授業の合間など、時間に余裕があると、研究室にやって来て、まったりしながら他愛もない話に興じるのが常でした。
そういう風に仲良くなっていたので、なかなか離れがたかったようで、卒業が近づいてきても、もうすぐお別れ、とは、なるべく考えないようにしていたようでした。進路や将来の話は出るのですが、それが、学生生活も終わり、みたいな方向に行くと、寂しいからやめよう、となって、極力、次にみんなで集まったら何をしよう、と話をしているようでした。昨日の飲み会も、最後は、では、また明日、という感じで解散しました。
今日は、午後に体育館で教育学部全体の式典を終えた後、専修毎に学位記を授与することになっていました。 午前中、2年の学生さんが質問に来ていたところに、羽織袴の着付けで早めに来ていたゼミの女子の学生さん達が、式典まで時間があるので、研究室で待ってていいですか? とやってきたので、指導教員は嬉々として写真を撮り(笑)、その後、男子の学生さん達も、ここに荷物置いといていいですか? とか、ここで書類書いていいですか? と、入れ替わりに研究室を訪れはじめました。これまで通り、お菓子を食べたり、お茶を飲んだりしながら、他愛もない話に打ち興じているうち、時間がやってきて、皆さん、学部全体の式典に体育館に向かいました。
昨年は私も体育館での式典に出てみたのですが、あまり、先生方の出席が多くなかったので、今年はいいか、という気になり、そちらが終わるのを待って、数学専修の学位授与にだけ出ることにしました。無事、学生さん達が学位記と教員免許を受け取り、先生方のお言葉をいただいて、皆さん、めでたく卒業ということになりました。
再び、嬉々として写真をとる指導教員につきあわされた後(笑)、学生さん達は研究室に引き上げてきて、女子の学生さん達は羽織袴を返却しに行って、ああ、窮屈だった、と言いながら私服に戻って帰ってきました。その後の予定は、証明書を持って即座に新任校に行かなければならない、サークルで集まる、専修の友達と集まる、と、皆さん、いろいろなので、出発時間もまちまちですが、それまでは、相変わらず、他愛のない話をして、ふざけたり、騒いだり、歌ったり(笑)しています。卒業する実感が湧いていないのかと思ったのですが、時間になると、センセイ、今まで有難うございました、みんな元気で、と、重みのある口調で挨拶してゆきます。 もしかすると、最後の最後までいつも通りに過ごしたかったということなのかもしれません。
全く今まで通りにふるまっていた方々が、ひとり、またひとりと研究室からいなくなってゆくのは、見送っている側からすると、一斉にお別れするよりも、卒業ということを真に迫って感じさせられます。最後にひとり残った学生さんが、みんな、行っちゃいましたね、と涙ぐんでいて、ちょっと、胸を突かれるような思いがしました。やがて、その学生さんも出発してゆきました。こうして、皆さんにとってひとつの時期が終わって、新しいはじまりがやってくるのでしょう。
そうは言うものの、私自身は、ここ数年書いているように、お互いに対して親しい気持ちでいられるならば、もちろん一緒に勉強しているときのようには頻繁に会えないにしろ、会うべきときには同じ気持ちでお付き合いできる、と考えるようになってきて、年々、卒業式を寂しいと感じなくなってきています。
この前 、謝恩会で、ゼミの学生さん達が記念品を贈呈してくださったとき、代表の方が、センセイがいつも楽しそうに話している弘前の卒業生の方々と同じような卒業生に私達もなりたいと思います、というような挨拶をされていて、普通に思い出話をしていたつもりだったはずなのに、何だか比較するような形になって悪かったかなあ、と、ちょっと申し訳なかったのですが、それでも、卒業ということを寂しく感じないのは、今まで続いている卒業生の方々とのお付き合いのおかげなのだと思います。
今年のゼミの皆さんとも、これから、そのようにお付き合いをしてゆくのだろうと思います。
これからのご活躍をお祈りしております。