ブラジルの音楽が好きです、と、言ったりもするのですが、ブラジル音楽はあまりに多岐に渡っていて、好んで聴くのは、そのうちの、少しのボサ・ノヴァやフュージョン、ブラジリアン・ジャズ等を除けば、ショーロという分野です。古くからあるオーソドックスなスタイルで、標準的な演奏形態は、中低音をギター、旋律をフルート、カバキーニョ(スチール弦を張ったウクレレのような楽器)、バンドリン(マンドリンのような楽器)、クラリネット、サックスなど、打楽器はバンディロ(タンバリン)が担当する、という、いたってシンプルで地味なもので、サンバなどから連想されるような激しいリズムはないのですが、親しみやすくも奥が深いようで、長年聴いても飽きませんし、ちょっとシーンに元気がなくなってきたかなあ、という頃には、若いミュージシャンが現れて新たな展開が起き、その歴史が続いているようです。
とはいうものの、日本ではマイナーな音楽であるのも事実で、私の周囲には結構音楽好きな方々がいるのですが、それでも、ブラジルのショーロって音楽が好きなんだけど、という話をしたときに、その存在を知っていた方は今までの通算で2人だけでした(笑) そのショーロについての本が出た、というので、かなり驚いて購入しました(笑)
書名から、考証的、研究的な本かと思ったらそうではなく、 1936 年に、当時の老ショーロ奏者だった著者が口述筆記した、彼と交流のあったミュージシャンについての思い出、という回顧録でした。 有効な例えになるかわかりませんが、ジャズで言うと、ベース奏者のビル・クロウが、モダン・ジャズが生き生きとしていた時代の実に愉快なメモアール「さよならバードランド」、「ジャズ・アネクドーツ」 を書いていたのですが、ちょうど、それの、ブラジル音楽 1936 年度版、みたいな・・・、と、いっても、やはり伝わりにくいですね(笑)
とにかく沢山(おそらく 300 人くらい)の、ショローン(ショーロ奏者)や彼らを援助、庇護した人たちの名前が出てきます。伝説的な名人がまだ現役で、今では、「ブラジル音楽の父」とさえいわれているピシンギーニャが、まだ、若手から中堅になりかけくらいの時に記述されたもので、その時代から、作曲や演奏の録音によって名前が残ったのは、ほんの一握りだと思いますし(私が知っている奏者は 10 人くらいでした)、どころか、当時、プロとして生計をたてられる人も多くなく、大半は、郵便局、消防署、商会などに勤める傍ら、音楽活動をしていたようです。それでも、演奏する場所はたくさんあったようで、夜な夜な、どこかで開かれたパーティーに集い、飲んで、食べて、演奏していた様子がうかがえます。こんなに、浮かれ騒いでいて、この人たち、昼間の仕事は大丈夫だったのか、と不思議になったりもします。現に、何人かは、職場をクビになってしまった、なんて記述も見られますが(笑) それでも、みんなが楽しく過ごしていたから、幸福な音楽が生まれたのだろうなあ、と、思ったりします。
いくら長年にわたったからとはいえ、これだけの数の関係者との付き合いがあった著者には驚いてしまいますが、滅多に悪口を言わず、例えば、演奏が下手な人に対しても、性格はよかった、みたいなフォローを入れたりするところ、人柄によるところもあるのだろうな、ともうかがえます。ときどき、感傷的で、ちょっと気取った言い回しもあるのですが、そういうのも悪い感じはしませんでした。といっても、あとがきで述べられた翻訳における苦労を読むと、この辺の感じのよさは、訳者のおかげなのかもしれませんが(笑)
あの音楽は、こういう雰囲気の中で育ってきたのか、ということが伝わってくる一冊でした。