2015年5月9日土曜日

南米コンテンポラリー・ギターの2作品

GW は、使い終わったパソコンを荷造りしてメーカーに回収の申し込みをして、教員採用試験を控えた4年のゼミの学生さんたちの志望動機の文章を添削して、卒業研究に使う小学校と中学校の教科書を買いに行って、後は、実家に1泊して、と過ごしました。楽しみにしていた割には細々と動き回っているうちに終わってしまいました。

それでも、気候もよくなってきたことだし、と、自宅にいるときは、ナイロン弦ギターの2つの作品をかわるがわるにかけ、 爽やかな気分を盛り上げています。

まずは、このアルバムです。キケ・シネシは、クラシックでもジャズでもないし、民族音楽というにはアクがないし、清澄だからといってヒーリング・ミュージックというには知的で芯があって、おそらく、アルゼンチンのタンゴやフォロクローレの伝統も引き継いでいて、という感じで、分類が難しいようです。この前、CDショップのアンビエントのコーナーにあるのを見かけて驚いたことがあります(笑) アルバムのライナー・ノーツを見ると、キャリアの最初の頃にディノ・サルーシのグループにいたとのことで、言われてみると、音楽的なスタンスは似ているような気もします。クラシックのギタリストが演奏する現代的なポピュラー・ギターのレパートリーにもなっているようで、大萩康司さんや、Zsofia Boros のアルバムなどで演奏されたりもしています。

何度か来日しているようで、この2枚組のアルバムのうちの1枚は、2012 年に訪れた、姫路、名古屋、山形、東京、岡山、福岡、京都の印象をまとめた組曲だそうです。といっても、特に、日本的な情緒を無理やり織り交ぜようとするところもなく、いつもの清澄かつ知的な一方で躍動的、といったスタイルが心地よい作品になっています。

この文を書きながら、何気なくネットを検索してわかったのですが、昨年も来日していて、そのときは弘前でもコンサートをしたようですね。 1年違いでチャンスがかみ合わなかったようです(笑) 私が住んでいた8年間は、こういう演奏が弘前であったことはなかったような気がするのですが。

単に、引きこもっていたので情報が伝わらなかっただけかもしれませんが(笑)

2枚組のもう1枚は、身近なひとや、リスペクトする音楽家に捧げた曲集で、ジム・ホール、パコ・デ・ルシア、エルムート・パスコアールの名前があるあたり、今更ながら、奏者の幅広い音楽性がうかがえます。

もうひとつの作品は、こちらです。 もはや、ヤマンドゥ・コスタは、「驚異の天才少年」でも、「ブラジル・ギターの新星」でも、「未来の巨匠」でもなく、歴史的な大家と肩を並べつつあるのだなあ、と、今更ながら思い知りました。 彼ともう一人のギターにバンドリンとアコーディオンという編成で、、レパートリーは彼自身の作曲が半数を占めるまっとうなショーロで、奇を衒うわけでも、ことさらに壮絶なテクニックを披露しているわけでもないのですが、存在感があり、風格すら漂う演奏です。

印象深いのは、ピシンギーニャ、エルネスト・ナザレー、アナクレイト・ディ・メディロス、シキーニャ・ゴンザーガというブラジル音楽の伝説的な音楽家に捧げた楽曲からなる、ハダメス・ニャタリ作曲の「肖像」という組曲を、名曲に気負うことも気後れすることもなく、悠々と演奏していることでした。

この曲に関しては、おそらくニャタリ自身が監修したと思われる、ジョエル・ナシメント、ルシアナとハファエルのハベーロ姉弟、マウリシオ・カリーリョというような、後のショーロを担う逸材の若かりし頃の演奏を収録したアルバムを持っていて、正直、そちらのほうがやや好きかなあ、という気もしないでもないのですが(笑)、 それでも、その演奏にすら十分に肩を並べる、と、言ってよいクオリティであることは間違いないようです。

物凄く大ざっぱに言うと、ここ数十年に現れたブラジルのスーパーギタリストは、まず、バーデン・パウエル、次の世代がハファエル・ハベーロ、その次の世代がヤマンドゥ・コスタということになるのではないかと思います。個人的に好きなギタリストだったハファエル・ハベーロが、悲劇的な夭折を遂げてしまったために十分に得ることができなかった「成熟」を、ヤマンドゥ・コスタが手に入れようとしている様子がうかがえ、頼もしく思う反面、ちょっぴり悔しくも感じて、複雑な気持ちではあります(笑)