2015年5月10日日曜日

誠実な言葉としての詩

珍しく、何となくテレビをつけてみたら、NHKのニュースで、長田弘さんがお亡くなりになったとの報道が目に入りました。お身体の調子が悪かったのは、何かで読んではいたのですが、いざ訃報に接し、30 年近く、考えたり、感じたりする力をいただいた方がいなくなってしまったことを実感すると、直接お目にかかったわけでもない一介の読者に過ぎないにもかかわらず、意外なほど深い喪失感にとらわれてしまいました。

最近出版された「全詩集」が書店の本棚にあるのを見たとき、今までの詩集は全部持っているし、買わなくてもいいか、と、思っていたのですが、もしかして、これが総決算となるかもしれないことをご本人もお考えになっていたのかしらん、と、気になってきたので、やはり、手に入れておこうかと思ったりもしています。

高校生の頃、書店で、何気なく、「ねこに未来はない」を手にとったのが始まりでした。当時から猫好きだったことと、好きな作家の辻邦生さんの推薦文にひかれたことが理由だったと思います。すっかり魅了されて、続いて、「猫がゆく - サラダの日々」を読んで、さらに感銘を受け、「深呼吸の必要」で完全にノックアウトされました。新しい本を見かけるたびに手に入れるようになり、その言葉に励まされてきました。

何度もブログに書いたので、もはや、同じ言葉しか出てこないのですが、長田弘さんの書くものに触れて、詩というのは、言葉のアクロバットやマジックではなく、書き手が自己に誠実であろうとする営為なのだ、ということを教えられました。 大切な、ものの見方、考え方、感じ方を得ることができました。そして、稀代の読み手でもあった彼の文章から、私にとってかけがえのないものとなる多くの詩人、作家を知りました。それらを思うと、長田弘という詩人に出会えた幸運を感謝するしかありません。 

私にとっても、世の中全体にとっても、これから、もっと必要とされるであろう言葉が、これ以上生まれないのは寂しいことですが、残された彼の詩を、大切に心に留めておきたいと思います。

「猫がゆく」の主人公の、サラダの日々を暮らすジュジュという女の子が口ずさんでいたのがこの歌です。バックの演奏はアート・アンサンブル・オブ・シカゴです。