2015年5月12日火曜日

心に留める

一昨日から、時間ができると、長田弘さんの詩集を開いています。いくつかの、印象深い言葉が目にとまります。コルクボードにピンどめするように、心に留めておこうと思います。


  それは

それは窓に射す日の光のなかにある。
それはキンモクセイの木の影のなかにある。
それは日々にありふれたもののなかにある。
Tシャツやブルージーンズのなかにある。
それは広告がけっして語らない言葉、
嘘になるので口にしない言葉のなかにある。
それは予定のないカレンダーのなかにある。
時計の音が聴こえるような時間のなかにある。
誰のものでもないじぶんの一日のなかにある。
それは、たとえば、ちいさなころ読んだ
「シャーロットのおくりもの」のなかにある。
あるいは、リンダ・ロンシュタットの
スペイン語のうつくしい歌のなかにもある。
名づけられないものが、そのなかにある。
それが何か、いえないものがある。

 (『心の中に持っている問題』   所収)



  Passing By

結局、わずかなものだ。
静けさ、身をつつむだけの。
率直さ、親指ほどの。
日が暮れる。一日が終わる。

大葉をのせた笊豆腐で、
冷酒を飲む。
あるいは、ブルーチーズを切り、
白ぶどう酒を飲む。

言葉を不用意に信じない。
泣き言は言葉とはちがう。
神を知らないので、
神にむかっては祈らない。

テーブルの上の猫。
黙って聴く音楽。
キム・カシュカシャンのヴィオラで、
ヒンデミットのヴィオラ・ソナタを聴く。

大きなぶなの木。
フクロウの影。
必要なだけの孤独。
澄んだ空気、せめてもの。

笑う。怒る。悲しむ。
それだけしか、
人生の礼儀は知らない。
ふりをする人間がきらいだ。

忘却の練習をしよう。
むかし、賢い人はそう言った。
何のために?
魂をまもるために。

結局、わずかなものだ。
いま、ここに在るという
感覚が、すべてだ。
どこにも秘密なんてない。

ひとは死ぬ。
赤ん坊が生まれる。
ひとの歴史は、それだけだ。
そうやって、この百年が過ぎてゆくのだ。

何事もなかったかのように。

『一日の終わりの詩集』  所収)



 おやすみなさい - セレナーデ

おやすみなさい森の木々
おやすみなさい青い闇
おやすみなさいたましいたち
おやすみなさい沼の水
おやすみなさいアオガエル
おやすみなさい向日葵の花
おやすみなさい欅の木
おやすみなさいキャベツ畑
おやすみなさい遠くつづく山竝(やまなみ)
おやすみなさいフクロウが啼いている
おやすみなさい悲しみを知る人
おやすみなさい子どもたち
おやすみなさい猫と犬
おやすみなさい羊を数えて
おやすみなさい希望を数えて
おやすみなさい桃畑
おやすみなさいカシオペア
おやすみなさい天つ風
おやすみなさい私たちは一人ではない
おやすみなさい朝(あした)まで

 (『奇跡 - ミラクル』 所収)