2015年2月3日火曜日

卒業論文発表会

・・・ということで、卒業論文の発表会がありました。

教員養成系の数学専修の卒業研究は、教科専門のゼミと教科教育のゼミで、性格が異なることが多いようです。教科教育では、研究授業をしたり、文献の考察や解釈をしたりするなかで、比較的、学生さん達の独自色を出せるのですが、数学そのものを題材にする場合は、オリジナルな結果を出すのはほぼ不可能なので、興味を持った話題に関する書籍を選び、証明をフォローしながら講読して、それをまとめる、ということになります。

理工系の学部でも数学関係のところは、だいたいそんな感じかと思います。私が大学を卒業したころの卒論も、書籍を講読したノートがほとんどで、最も進んでいる方でも、論文のレビューくらいだったのではないかと思います。ゼミは厳しくても、卒論は淡白、というか、冷淡というか(笑)、 という感じで、工学系の人たちは、実験したり、シュミレーションしたりして、ぎっちりと論文を書いた上で発表をする、というところが多かったのですが、当時の数学科の先生の中には、卒論の表紙だけはちゃんと提出してね、と、言った方がいたという噂がまことしやかに流れていました(笑)

前にいた弘前大学教育学部の数学専修も、教科専門の研究室はゼミのサーベイを提出して、数学教育のゼミだけが発表会を行っているという感じだったので、今の大学にきて、このようにゼミの学生さんの発表に付き合ったのは初めてということになります。入門書一冊を読むくらいは「勉強」のレベルで、「研究」を名乗るのはおこがましいし、これで何かを成し遂げたと勘違いされても困るなあ、という、ちょっと皮肉な気持ちもあったのですが、反面、いろいろと新鮮でもありましたし、発表を体験することの利点もあったのではないかと思います。

ひとつは、論理的なステップをひとつひとつ辿って文献を読み通すことと、その枠組みの本質を理解していることとのギャップが、案外大きいのだと再認識したことです。これは私のゼミ生に限らなかったのですが、卒業研究に関して、話をしたり、質問を受けたりしたときに、それって要するにこういうことなわけだから、と、知っていると思っていたことを言ったのに、えーっ そうだったんですか? というような反応が返ってくることが結構ありました、道を歩きとおした後、全体を一望して眺めわたすには、もうひとつ、何かが必要なようです。そういう意味で、今までやったことを要約して、俯瞰しておくのは悪いことではないと思いました。

次に、というか、上のことと関係しているのかもしれませんが、相手に感覚的に全体像を把握させる説明の工夫、というところにはなかなか思い至らない、とわかったことです。自分が苦労して理解したことや、面白かったことを、なるべく一般的に、広範囲に、と思うらしく、抽象的な枠組みでの論理的な手続きや、困難だった計算の工夫などを話したがってしまう傾向があるようです。しかし、10 分程度のトークではそういう話し方は向きません。典型的かつ具体的な例を上げて、要するにこういうことをしているわけです、みたいにするほうが通じやすい、ということは、言われないと気づかないのだなあ、と感じました。

年明けくらいからぼつぼつと発表の練習を始め、その都度修正を加えて、ということを繰り返してきて、こんなペースで大丈夫かなあ、と不安でしたが、最後の1週間ほどで目に見えてまとまってきました。 こんなに追い込めるならば、1週間前に準備を始めればよかったのかなあ、と、思わなくもないのですが(笑)、きっと、そうではなく、あまり進まないときも頑張ったからこそ、何とかなったのでしょう。ふと、学生時代のサークルの、定期演奏会直前の様子を思い出しました(笑)

今日、発表することができた学生さん達に関しては、後は、論文の本編を提出するだけとなりました。4月からのスタートで、どうなることかと冷や冷やしましたが、マラソンでいうと、コースを走り終えて競技場に入ったくらいには来たというところでしょうか。後は、トラックで転ばないように(笑)、無事、ゴールしていただけたらと思います。