2015年1月19日月曜日

20 年後

ちょっと、気持ちが草臥れたなあ、と思って、長田弘さんの詩集を一抱え持ってきて眺めていると、

考えることが快楽でない人は
考えに考えることをよしと考えない。 
考えることが快楽でない人は
ためらわない、すぐに性根を問題にする。 
考えることが快楽でない人は
精神の字にかならず(こころ)とルビを振る。 
考えることが快楽でない人は
考えない。考えさせない。疑わない。

とか、

力ずくで、ただ無理じいすること、ではない。
強制は、 
国中の人間の半分を馬鹿にし、
残りの半分を偽善者にしてしまうことである。 
トマス・ジェファーソンの
辞書によれば。
とか、

そうすべきだと言い切る断言は
正しいとおもえば、いつでも正しい。
誤ることなどありえないという
正しい理由をいつでももっているのだ。 
だが、すべきでないことはしないことを択べ
すべきこととすべきでないことのあいだでは。 
そうすべきではない不正な行為も、
正しいとおもえば、いつでも正しい。
誤ることなどありえないという
正しい理由をいつでももっているのだ

とか、
気をつけたほうがいいのだ、
何事もきっぱりと語るひとには。 
です。であります。なのであります。
語尾ばかりをきっぱりと言い切り、 
本当は何も語ろうとしない。
ひとは何をきっぱりと語れるのか? 
語るべきことをもつひとは、言葉を
探しながら、むしろためらいつつ語る。

などという詩句が目に入ってきました。

1994 年に出版された詩集の中のことばなのですが、20 年後の今に切実に響きます。こういう世の中になるのがわかっていたのかなあ、とさえ思ってしまいます。