2014年11月4日火曜日

高野 文子 「ドミトリーともきんす」

決して否定をするつもりはないのですが、活字の本だけでも読み切れないくらい積んであるので、漫画を読むことはあまりなく、本棚にあるのは「ブラックジャック」、「火の鳥」、「ブッダ」のような手塚治虫の代表作と、ラズウェル細木さんのジャズ漫画(これは私の中ではどちらかというとジャズ本というくくりなのですが)くらいなのです。そんな私が、かつて、買おうかなあ、と迷った本が、ちくま文庫から出ている「るきさん」でした。迷っているうちに3回くらい書店で通読してしまい、結局買わないままになってしまったのですが。

否定するつもりはない、と書いた舌の根も乾かないうちから文句をいってしまうと(笑)、発表される主要な媒体が週刊誌であるせいか、 短いスパンに一気呵成に展開する勢いと、競合する多くの作品のなかでキャラを際立たせる個性の強さが、普段、コマ割りのない止まった絵ばかり見ていて(笑)、読むものとしては地味でしみじみとした私小説が好きな私にしては、ちょっと胃もたれがおきてしまうなあ、という感じを一般のマンガにもっていた中、そんな先入観に反して、騒々しくない、何気なくそこはかとなく面白い感じが新鮮だったのでした。

結局購入しなかった(いや、これから慌てて買おうかと思っていますが(笑))作品について熱弁をふるってもしょうがないのですが、そういうわけで、マンガを読まない私ですら高野文子という名前は印象に残っていたのでした。その著者の 12 年ぶりという最新作が、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹という、科学者の書いた文章への道案内だということで、出張先の書店で手にとってみたらすっかり感銘を受け、サイン本があったのを臆面もなく購入してしまいました(笑)

ご自身のあとがきが名文で、書店でお読みいただければここでお話しすることは何もなくなってしまうのですが(笑)、とりあえず要約すると、漠然と《実用的》なマンガっていうのはできないものか、と思っていた作者が、科学者が書いた随筆や一般向けの文章に《乾いた涼しい風が吹いてくる読後感》を覚えて自然科学の本を気に入り、それらの本を紹介しようと思ったとのことです(《 》 は、あとがきにある作者自身の言葉の抜粋です)。

昔からの科学者の中には文章が達者な方がかなりいらっしゃって、文章の題材の多くは研究に関することで、さらに観察癖が身についているので、べったりと書き手の心や感情を書くよりは距離を取れるのかもしれません。

母(とも子さん)と小さい娘さん(きん子さん)がやっている下宿屋さん「ともきんす」(もちろん、ガモフの「不思議の国のトムキンス」に由来しています)に学生時代の前述の4人が住んでいて、おりにふれて誰かが話に来る、という空想、という設定で、印象的な場面が浮かびあがるようになっています。

読んだことがあって、ああ、あそこがヒントだな、とわかるものも少しはあり、おそらく、それ以外のところでも、紹介する文章からインスピレーションを得た断片が散りばめられているのだと思います。素人の私がこんなことをいうのも僭越ですが、単にストーリーを追うための絵ではない、一コマ一コマの静けさと優しさがとても印象的です。よくしつらえた、聞き上手な空間で、窮屈ではなく空想を遊ばせながらも、最後は主人公たちのこころのありように読者の関心を導いてゆきます。《まずは、絵を、気持ちを込めずに描くけいこをしました》と、この作品に合わせるために自分の画法をつくりなおす、というほどの手間をかけて、《今回は、自分の思いを見えないところに仕舞った》そうですが、その「仕舞われた」思いは、見えないところで、とてもしっかりと、この本の世界を支えています。

喫茶店やカフェとか、美容室とか、歯医者さんの待合室とかのマガジンラックに、この本が収まっているのを想像すると、ちょっと愉快になってきます。もちろん、学校にも置いてほしいですね。 図書室の本棚にきっちり収納するのではなく、教室の、ちょっとしたときに誰かが何気なく手を伸ばして眺めることの出来る場所がよいと思います。