2014年9月6日土曜日

久しぶりに集まる

弘前の卒業生で関東に住んでいる方々と、集まりました。

自分の周りの卒業生の方々が千葉で勤めはじめたとき、慣れない場所で大丈夫かなあ、と心配で、帰省したときは顔を見るようになり、そのうち、新たに卒業した方々が増えると、初めてだし、先輩達と会う機会があれば安心するかなあ、と、声をかけるようになって、弘前に居たうちの 3,4年くらいの間のゼミの卒業生の方々や、私のところによく出入りしていた学生さん達を中心に年1,2回のペースで会うようになりました。今では、もう、皆さん、こちらの生活にも慣れ、お互いが知り合いにもなったので、私が音頭をとってどうこう、という必要もないうえ、私自身が母校の様子を知らせることもできなくなってしまったのですが(汗)、こちらがゼミ生離れできていないので(笑)、ときどきは顔を見たくなり、またもや声をかけてしまいました(笑)

昨年度までは、帰省するときを見計らって声をかけていたのですが、今度、関東に住むようになり、もう少し時間の融通がきくかなあ、と思いきや、学校に勤めている方々が共通して集まることができそうな時期はやはり夏休みくらいしかない、ということが判明し、結局は、昨年の夏以来に、集まることになりました。今回は、私の他に、もう一人、埼玉県在住の方が参加することになったので、東京で開催することになり、国際フォーラムでのコンサートが終わった後、時間をつぶして会場に向かいました。

と、移動しているとき、人身事故で総武線のダイヤが乱れている、という駅の構内放送が入り、ひょっとすると、と思って予定のお店にいったら、案の定、埼玉在住の方しか来ていませんでした。久闊を叙しながら、これはしばらく集まれないかなあ、と話をしていたら、ほどなく、千葉から参加のかたも現れはじめました。とはいうものの、一人の方は職場で急用ができてしまってさらに遅れることになってしまいました。土曜日でもこんな状態で、それから、やってきた皆さんと話をすると、みなさん休む間もなく働いているようで、それまでジャズのコンサートを聴いていました、というのが申し訳なるくらいでした(笑) 教師という仕事は本当に大変なのだなあ、と改めて感じました。

普段、学生さんが教員になるのを手助けする立場にあるはずなのですが、それがどういうことなのかを実感することはなかなかないので、大学生のときから知っている方々が、すっかり落ち着いて、仕事や身の回りのことを話すようになるのを見ると、社会に出る、とか、教師になる、って、こういうことなんだな、と、ちょっと、目を見張るような思いになることがあります。

個人的には、数学を熱心に勉強して、みんなのために行動できる学生さんは贔屓するようにしているつもりで(笑)、今回集まった方々も、それぞれのキャラクターを持ちながらも、そういうことは共通していて、私と縁があった人たちでした。その素直さを失わないまま、仕事をして、成長しているようで、とても嬉しく感じました。また、お目にかかるのを楽しみにしています。

帰りの京浜東北線の車中でふと思い出したのですが、今回集まった学生さん達が在学していた頃、モンカショーが国立大学法人にはりつけた評価で弘前大学が最低になったと報道され、私もいくつかの場所でそれを言われて閉口したことがあったのでした。当時、学生さん達も活き活きとしていて、私自身も教えることに張り合いを感じていたので、これがよくない大学だとはとうてい思えないのだけどなあ、と、不思議でした。その頃の学生さんがこうして社会に出て、それぞれの職務を果たしていて、しかも、大学で過ごした時間を基にこうして結びついているのを見て、いったいあれは何だったのだろう、さぞかし歪な物差しの当て方だったのだろうなあ、と、改めて考えました。