CD ショップで見かけたこのアルバムの裏面のデータを見て、あれ? と思いました。そのとき、偶然、所用で上京していて、ライブレコーディングされた2014 年 1月 20 日のブルーノート東京で、この、ジム・ホール・トリビュートのライブを聴いていたのでした。ライブレコーディングをするというアナウンスに気づかなかったので、もしかすると、私の聴いたファースト・セットではなくセカンド・セットを録音したものかもしれませんが、レパートリーは共通していますし、何より、その雰囲気を思い出せるので、普段と違った聴き方ができるような気もします。
ジャズを聴き始めたころ好きになったアーティストが、アート・ファーマー、ビル・エバンス、ポール・デズモンドだったので、3人の名盤に参加しているジム・ホールのギターも早くから聴くようになりました。私にとって、ジャズ・ギターと言われて最初に思い浮かべるのは、ウェス・モンゴメリーでも、ケニー・バレルでも、バーニー・ケッセルでもなく、ジム・ホールであるとさえ言えそうです。
豊穣ながらも端整な演奏で、どちらかというと地味な感じさえする正統派のジャズ・ギタリスト、という印象があったのですが、そのうちに、パット・メセニーや、ビル・フリーゼルや、ジョン・スコフィールドが、彼からの影響を口にし始め、すっかり、コンテンポラリー・ジャズ・ギターのルーツとして敬われるようになっていました。
いつかはライブを聴いてみたいなあ、と思っていたのですが、昨年の 12 月に惜しくも急逝され、1 月 20 日はその追悼としてのライブでした。本来は、ロン・カーターとともにジム・ホール本人が来日して、幾多の名盤を生んだ二人のデュオの続編が録音される予定だったそうです。タッチの差で、本人の演奏を耳にする機会を逃してしまったことになります。やはり、聴けるときにライブに行っておかなければなりません(おいおい・・・)。
急遽、トリビュートのメンバーとしてブッキングされたギタリストは、ラリー・コリエルと、ピーター・バーンスタインでした。ピーター・バーンスタインのことは、一時期、ソニー・ロリンズのグループにいたこと(これも、ジム・ホールと共通しているといえばそうですが)くらいしか知らなかったのですが、ジム・ホールの直弟子だとのことで、その演奏も、直系の端整さが感じられます。
セット・リストをみたとき、ジム・ホールの追悼でラリー・コリエル、というのは意外でした。いわれてみれば、どちらも、チコ・ハミルトンやゲイリー・バートンと共演していたりして、もしかしたら、案外近いポジションにいたのかなあ、と思ってはみても、いつものプレイ・スタイルは全く異なる印象があったからです。それでも、珍しく(?)、オーソドックスにスタンダードなどを演奏しているのを聴くと(曲に応じ、普通のフル・アコとフォークっぽいアコースティク・ギターを使っていました)、彼らしい、ちょっとヘンなところがありつつも、それは、例えば、ジム・ホールがその豊かなコード・ワークのなかでスパイスとして使っていたような音を抽出しているようなもので、何らかの影響はあったのかもしれない、という気もしてきました。
長年の友人だったジム・ホールを失ってまだ1ヶ月と少ししか経っていなかったロン・カーターは、さすがにMCでは悲しみをにじませていましたが、感情に流されることなく、冷静に堅実に音楽を成立させています。ロン・カーターが参加しているライブを聴いたのは3回目なのですが、最初がマイルス・トリビュートのVSOP、次は、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ジャック・ディジョネットとの”The Quartet" で、他に強力なピアノとドラムがいたため、底辺をしっかり支えていても、リズムの上で目だった印象はありませんでしたが、今回のフォーマットでは、中心となってタイムを設定しているのがよくわかりました。たぶん、コンテンポラリーなコリエルとオーソドックスなバーンスタインを合わせたあたりにジム・ホールがいるはずで、その彼を浮かび上がらせるための全体の枠組みをロン・カーターが与えていた、といえるのかもしれません。
ライブでのベースの音色は CD で聴くよりもふくよかだった記憶があります。割と前の席で聴くことができたので、マイクを通さない生の音も届いていたのかもしれません。