2014年8月24日日曜日

南越谷阿波踊り

意図してそういう場所を選んだわけではないのですが、またもや大きなお祭りが行われる傍に住むことになっていました。この週末行われていた南越谷阿波踊りの会場が、自宅から歩いて5分も経たないところでした。

数日前から、ポスターが貼られたり、装飾の仕度が行われたりしていたのを眺めても、弘前に住んで毎年ねぷたをみていた私としては、どうせ地元発祥でもない借り物の祭りなんでしょ? と、見くびっていたところがあったのですが、実物に触れてみると大したものでした。南越谷の中心部の大通りの大半が踊りながら練りあるく「流し踊り」のコースになり、駅前のロータリーと市民会館の中庭で踊る「組み踊り」の会場になっていて、さらに、会館の中で踊る「舞台踊り」というのもあったらしく、2日間、街の繁華街は祭りで沸き立っていました。


駅前からの通りの演舞場の様子です。









駅前のロータリーの「組踊り」です。










市民会館の中庭での演舞です。











大通りの周辺の路地はことごとく屋台です。踊りの見物エリアよりもこちらのほうが人口密度が高かったような・・・(笑)










どうして「阿波踊り」なのか、というと、どうやら、この辺でよく見る不動産会社の創業者の方が徳島出身だったらしく、地域の結束のために、越谷でも自分の故郷のような祭りをやりたいということで、よびかけて開催するようになった、ということらしいです。今年で30回を数え、いまや日本三大阿波踊りのひとつだそうで(後は本家の徳島と、東京の高円寺だそうです)、昨年度の人出は 60 万人ということですから、1日あたりの見物人は弘前のねぷたよりも多いかもしれません。地元で芽生えたわけではなくて他の場所から移した「挿し木」かもしれませんが、着実に根付いているとはいえそうです。

ただ、正直にいうと、やはり、弘前のねぷたに最初に触れたときのほうが感動しました。祭りを迎える前のあの街は、通りを歩くと、あちこちの集会所や公民館でお囃子の練習の音色が聴こえてきて、地域の中で年長者から年少者に伝えられ、ねぷたというのが、極めて自然に暮らしの中に定着していることが伺えました。長い冬を過ごしたあとの短い夏に爆発的に盛り上がる、というのが、その土地に住む人々の気持ちにマッチしていたようにも思います。見物の地元の方々もお囃子を聴いたらアドレナリンが上がる、という感じで、見る側も一体になって盛り上がっていて、その様子をみると、私などは、ああ、やはり自分は津軽に馴染んでないなあ、と、感じてしまうほどでした。それが、DNAにまで刻み込まれた(?)伝統の強さなのでしょう。こちらでは、サークルや教室で習った成果を発表しようと張り切る参加者の方々と、あまり阿波踊りに馴染んでいないで、どちらかというと珍しそうに見物する方々とに、どうしても温度差があるように見えてなりませんでした。何となく祭りの雰囲気に触れてみたくて出かけてくる方々も多いのかなあ、という感じもします。その分、私も疎外感を感じずに見物できましたが(笑)

まあ、その辺は何百年と続いているお祭りと比べてもしょうがないのでしょう。これから、地域の結びつきで役割を果たしてずっと続いていくうち、阿波踊りが、越谷のハートビートになってゆくのかもしれませんし。

私も、ここで過ごすうち、この祭りに触れると、ああ、夏も終わるなあ、という感慨を催すようになるのでしょう。

あ、あと、遅ればせながら、今年は弘前のねぷたは痛ましいことになってしまって本当に残念でしたが、あのようなことが再び起きずに、これからも街の風物詩として、あの美しい情景が保存されることを、遠くからではありますが、切に願っております。