2016年2月22日月曜日

岩合光昭「ふるさとのねこ」、「コトラ、母になる - 津軽のネコの四季物語」

ネコの日、ということで・・・(笑)

もともと、ネコ好きの母親へのプレゼントを物色していて見つけたのですが、「ネコ」で、「津軽」という、私にとっては大好物の2つが揃っていて、しかも、撮影したのが岩合さん、ということで、自分の分も勇んで購入しました(笑) 

著者が1年ほど、四季の折々に津軽を訪れて撮影した記録で、「ふるさとのねこ」のほうが写真集、「コトラ、母になる」のほうが写真と文を交えた本です。

最初に、開いた瞬間、思わず、ずるい、とつぶやいてしまいました。8年間、弘前に住んでいたのですが、道を歩いていてもあまりネコに会わない街で、冬は寒いので、みんなイエネコなのかなあ、と、思っていて、弘前公園も、最勝院も、通算で 500 回くらいは行ったと思うのですが(笑)、ネコに出会えることはめったになかったのでした。それが、岩合さんの手にかかると、しっかり、桜や雪の弘前公園のネコや、最勝院の塀の屋根にのっかっているネコが写っています。さすがに、そこに住んでいる自由ネコだけではなく、ご近所で飼っているネコの協力を仰いだようですが、それでも、ご近所にいるネコすら見つけられなかった私としては、ちょっと悔しい思いがします(笑)

その他、ねぷた絵に戯れるネコ、漁港のネコ、と、津軽の風物の中で暮らすネコたちの写真に見とれてしまいますが、なんといっても、これらの白眉は、1年間少しをかけて撮影した、リンゴ農家で暮らすネコ一族の写真でしょう。母親になりたての「コトラ」と、自然の中で成長する彼女の子どもたちを中心とする大所帯のネコたちと、それを見守る飼い主の方々の1年が、生き生きと伝わってきます。

もちろん、構図や演出は十分に考えられているのでしょうが、その中でモデルになるネコたちは皆、自然体で、目も、表情も死んでいません。待ちに待ったであろう決定的瞬間を活写した一枚一枚に何となくネコの気持ちが現れているようで、心が和みます。

背景となる津軽の風景も、私にとっては親しみ深いもので(笑)、岩木山の見え方から、だいたいあの辺かなあ、と想像してみたりするのですが(笑)、そうしていると、あの地の、風の肌触りや、光の感じ、雪を踏みしめる感触などを、身体的、とも言いたいほど、ふっと思い出したような気がしました。 

春のよろこび、夏の昂ぶり、秋の静けさ、冬の厳しさ・・・、と繰り返される、重みのある時間と人の記憶とともに、その中で過ごす、私が会うことのできなかったネコたちを思い、写真を眺めていました。

本文とともに印象深かったのが、著者による「エピローグ」でした。1年4か月ほど、折に触れて訪れていた津軽での仕事が終わりを迎え、羽田に降りたった時のことが次のように書かれていました。
 僕は・・・・・・、動けない、動けなかった。どちらかというとせっかちな僕は、いつもならすぐに荷物を取り出して出口に向かう。なのに、動けなかった。飛行機が東京に着陸した瞬間、「オワッタ」と頭の中で響いた。「ツガルガオワッタ」と。心臓がドクンと跳ねたような気がした。胸がしめつけられる。そして、全身の力が抜けた・・・・・・。
 余りに大きな喪失感だった、気づいたのだ、ネコもヒトも、空も大地も風も匂いも、たとえまた行くことができたとしても、もう二度と共に過ごすことはないのだと。もう二度とあの時間は過ごせないことを。引き返したい衝動に駆られる。いい歳をしてどうかしていると思う。自分に呆然とする。
自分と重ね合わせるのは僭越ではあるのですが、2年前、青森を離れたときのことをちょっと思い出しました。くっきりと色付けされた手ごたえのある時間と、その中で暮らす人たち(ネコたちも?)が、津軽という場所にそういう人懐かしい思いを抱かせるのだろうなあ、と。