関東に引っ越してから、初めて 3・11を迎えたことになります。
やはり、東北地方にいるときよりは、あの日のことは遠く感じてしまうのかなあ、という気持ちを禁じえません。当初、弘前は直接の被害はほとんどなかったのですが、交通が遮断されて物資の流通が止まり、しばらくの間は不自由な思いをしましたし、当時の勤務校は岩手、宮城、福島からの学生さんも多かったので、起こってしまったことの重さが直接、間接に伝わってきたのですが、こちらにいると、物事の移り変わりが速く、震災のことも丁寧にラッピングされてしまい、敬意やいたわりをもつよう配慮されているとはいえ、本当は、「我々みんなの問題」であるはずのものが、「被災地の問題」として距離を置かれてしまっているのではないか、という気もして、忸怩たる思いでいます。
怖いなあ、と思うのは、ほとぼりが冷めたら、震災以前に行われていたことが、あんなに深刻な体験からも何かを学んだわけではなく、ほとんど無反省に再開されているように見えるときもあることです。ご覧のようにお気楽なノンポリで、ストイックに物事を考えるほうでもないのですが、それでも、バカでかい遊園地や、ピカピカのイルミネーションや、ビル街の空を埋め尽くすような電光掲示板をみると、8年間、地方にいたせいか、うーん、こういうことのために沢山の電気がいるのかなあ、と、奇妙な気持ちを感じてしまいます。とにかくモノを売れ、と、生活の隙間スキマに、次々と新しい製品が入り込んで、いつの間にか当たり前のものになって、使い捨てられて、そのためのエネルギーを供給しようと無理をして、また、悲惨なことになりはしないのか、と、不安になるときもあります。
予算がないから、資材や機材が調達できないから、といいつつ、震災後に、スカイツリーも、あべのハルカスもできたし、オリンピックがあるからと国立競技場も改修されているし、いま、住んでいる場所の廻りも続々とマンションが建設されているし、北陸新幹線も開通して、東北新幹線も函館まで到達することになっているようなのに、なぜ、被災地の復興が進まず、鉄道が通らないのだろう、と、ずっと不思議なままです。
お前はナイーブで、セージもケーザイもわからないからで、そうしないと儲からないで、職につけないで困ってしまう人がいるのだ、そうすることでケーザイが好転して、それで復興が可能になるのだ、と、言われてしまえばそれまでなのでしょうし、だったら、お前はどうなんだ、と言われると、冴えない日常をおたおたするのに精一杯で、何かの力にもなっていないのですが、それでもなあ、というもやもやは相変わらず、というより、時間が経つほど強くなってきてはいます。願わくば私が無知なだけで、本当にそれらがよい未来のためになっているのであればよいのですが。
毎年恒例のこのアルバムを聴いています。発売当初、その音楽性に感銘を受けながらも、ストレートな主張を標榜しないのに何かが伝わるのか、ということに少し疑問がありましたが、今になってみると、音楽だからこそ、単純に言い表せない、絶望や皮肉な諦めやいたわりや慰撫や勇気や希望や・・・、といった微妙な沢山の思いが混じり合った、4年前の空気感が伝わってくることに気づきました。