論理や集合の講義で、命題論理に続いて述語論理の話をしようとしたのですが、どうも、全称命題の説明がうまくいきません。命題関数 $P(x)$ に対して $\forall x (P(x))$ を考えた時の $x$ の「任意」の範囲について、話のおさまりが悪くなってしまいます。 本格的な記号論理では量化子は未定義で天から降ってくる(?)ことにするようですが、大学1年の講義で、これは単なる記号で、気持ちとしては森羅万象ありとあらゆるものというつもりです、といおうものなら、それでは、$x$ が $\sqrt{\pi}$ でも、織田信長でも、サルノコシカケでも、ヒッグス粒子でも、M78 星雲でも、優しい気持ちでもよいのですか?と質問されそうで(されないですかね(笑))、まあ、質問されても、そうです、と泰然自若としていればよいのですが、そうすると、普通の数学に出てくる話題から全称命題の例を挙げることはほとんど不可能になってしまい、何の実感もわかないということになりかねません。 身の回りの大学初年級のテキストを見ると、丁寧なものでは、任意、と書いてあるけど議論するときは当然ある程度の範囲を前提としているので、その変域を指定します、という形にしたり、高校でやった集合の結果は前提としていたりしています。
最終的には私も変域を指定しながら説明する方法に追随したのですが、どうも釈然としない感じもしています。というのは、変域を指定するのは、こっそり、集合を使っているのと変わらないんじゃないの? という気がしないでもないのです。それだったら、述語論理をやる前に集合をやろうか、とも思い、一時、そういう方針でノートを作り、上手くできたような気がしたのですが、何かおかしいと感じて、つらつらと眺めなおすと、部分集合 $A\subset B$ の定義が、
\[
x \in A \quad \Longrightarrow \quad x\in B
\]
になっていて、いや、これは、
\[
\forall x ( x\in A \quad \Longrightarrow x\in B)
\]
であるべきじゃないか、と、気づきました。こんなことすら忘れていたとは、なかなか重症です。
ということで、やはり、集合の前に全称命題をやっておいたほうがよさそうだ、ということになってしまいます。それでも、後で実際に、$\epsilon - \delta$ 論法などで使うときのことを考えると、$(\forall x \in X)(P(x))$ のような命題についてもやる必要があり、結局は集合をやった後、もう一度述語論理に戻ったほうがよいのか、それも効率的ではないしなあ、と、ぐじぐじと考えています。そうしているうち、そういえば、 $(\forall x \in X)(P(x))$ と、 $\forall x (x\in X \ \Rightarrow \ P(x))$ って同じなんだっけ、違うんだっけ、とか、いろいろとどうしようもないことが気になってきて、準備がなかなか進みません。
結局、何が言いたかったか、というと、MathJax を使い始めました、ということです(笑)