2017年3月11日土曜日

6年経つ

まさか、半年も更新しないことになろうとは思ってもいなかったのですが、忙しさに紛れて、いつの間にか、ブログを書かない生活が普通になっていました。

でも、やはり、今日は書こうと思います。

研究室の整理をなるべく卒業式までには終わらせたいと思って、土曜でも大学に行くことにしました。 14 時 46 分ごろ、ブラインドから射す日光を眺めて、6年前、いきなり揺れはじめた部屋で、本棚を押さえていたときの窓の明るさを思い出しました。

毎年、ここに書いている割り切れなさは、自分の中ではずっとくすぶっていて、時々、オリンピックやら何やらで、何百億円とか、何千億円とかの国家予算が飛ぶような報道を見ると、それ、被災地に回せないのかなあ、とか、思ってしまうことがあります。避難している方が5万人減ったとはいっても、まだ 12 万人もいらっしゃって、しかも、避難が終わった、ということが、何かの解放を意味するわけではなさそうで、今日、テレビを観ていたら、放射能汚染で避難していたのが解除になった方々の現実というのが、また、とんでもなく厳しいとの報道で、その方々が背負うべきものではない苦悩に直面している様子にやりきれなくなります。

日本全体の問題だったはずなのに、いつの間にか「被災地の問題」っていう括りが出来上がっていないか、何か、大切なものを置き去りにしていないか、いろいろな疑問が沸き上がってきます。

そして、そういう自分も、離れた場所での日常をやり過ごすことに狎れきっていないか、という問いも浮かんできます。

例年通り、このアルバムを聴いています。